

"素的"を阻む幸せ鈍感病
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「幸せ鈍感病」って何?それを克服して幸せ敏感体質になるにはどうしたらいいの?
e-girlのロゴに「幸せって素的コミュニティー」、「GNH(国民総幸福)研究会」とあるのをあなたはお気づきですか?
e-girlは「幸せ」と「自分らしさ」の関係性を見つめる場所です。
僕は最近、象徴的な2つの幸せを体験しました。
一つは、ついさっきですが、電子手帳の乾電池を買いにコンビニに行った時に、ついでにコーヒーを買ったんです。
今日は熊本で珍しく雪が積もった日です。
そんな凍えるような寒さの中を、歩いて家に帰っていたら、コーヒーの温もりがありがたく感じれて、幸せだなぁ~って思いました。
もう一つは、4ヶ月前になりますが、小さい頃から憧れていたスーパーカーのポルシェ911を買ったことです。
女性に車の話は分かりづらいかもしれませんので、個人差はあると思いますが、女性の場合はエルメスのバーキンを買うようなものだと想像してもらえるといいかと思います。
僕のは中古で、9年前の車。
でも、買った時は嬉しくて幸せでした。
2つの体験はもう過去のものです。
あの時と全く同じ感情を思い出すことはできませんが、2つの体験はまったく異質のものでした。
前者は、コーヒーの温もりを感じて幸せだなぁ~と思った時から、他の些細なこと、当たり前だと思っていたことに対しても幸せだなぁ~と次々と連鎖するように幸せ感が増えていきました。
例えば、外は寒いけど、家で温かくしていられるのは幸せだなぁ~とか、
今、僕が着ている防風・防水の防寒着を買えたのは幸せなことだなぁ~とか、
日陰を避けて日が当たっているところを通ると、背中に当たるお日様の光を感じて、これも幸せだなぁ~というようにです。
対して後者は、車を買った瞬間が幸せの絶頂期で、時間が経過するのに反比例して幸せが減っていくのを感じました。
そして4ヵ月後の今はどうかというと、買う前は中古で十分だと思っていたのに、もう新車が欲しいと思う自分がいます。
この増えていく幸せと、減っていく幸せ。
一体、何が違うのでしょうか?
僕は2つの違いは捉え方の違いだと思っています。
幸せは感じるものであるか、それとも、幸せは得るもの、幸せになるものであるか。
よく「幸せをつかむ」とか「幸せになる」とか聞きますよね?
幸せは得るもの、なるものだと捉えていれば、得た瞬間、達成した瞬間から幸せは減っていきます。
ですから、また次のターゲット、又はゴールを見つけなくてはなりません。
そして、それを得たり達したりするまでは、幸せではなくなります。
結婚の場合も結婚することが幸せであるとゴールのように捉えていたら、結婚するまでは幸せではないとされてしまいます。
反対に幸せは感じるものだと捉え方を変換してみたらどうでしょう?
感じることは今・この瞬間・瞬間に誰でもしていることです。
生きていれば、いつでも無尽蔵に感じることができます。
ですから、尽きることがなく、ゴールもありません。
いつでも幸せを感じられ、増えていくものに変わります。
ただし、些細なこと、当たり前のことに幸せを感じられる敏感な感性が必要になります。
そういう観点で見れば、常に幸せを追っている人は幸せ鈍感病だといえます。
そして、今・この瞬間にある幸せを連続してずっと感じ続けられる人は"素的"です。
感性を研ぎ澄まして幸せ敏感体質になるために・・・僕は感謝日記をつけることを始めています。
すでに私達が幸せであることに感謝をするのです。
いきなり<いま・ここ>に意識をとどめて自分を客観視することは難しいので、一日の中に意識をとどめることからスタートです。
やり方は簡単!
今日、幸せを感じた出来事を振り返り、それに対して「ありがとう」と感謝を捧げるだけです。
詳しくは2月4日の特集で書きます。
お楽しみに♪
(2010.1.15 文:ワッキー)

